●以下の文章は 『経済セミナー』(日本評論社)200712月号(通巻633号) の特集「経済思想は面白い!」に掲載された文章の元原稿です。編集部の許可(2009.4.3)を得て、再録します。

 

http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_keisemi.html 経済セミナーのサイト

http://www.nippyo.co.jp/magazine/3689.html その号の目次

 

 

経済と福祉の間:三推人経綸問答*

小峯 敦+

 

 深草教授(経済思想担当)の研究室に、ゼミ学生の美雪(4回生)と豪傑(3回生)が訪ねてきた。美雪が卒論のことで相談があるらしい。

 

●福祉と経済?

美雪:「福祉と経済思想」というテーマで書きたいのですけど、何から書き始め

 たらいいか迷っちゃって。

豪傑:福祉って、恵まれない人々に愛の手を、のこと?

美雪:いえ、それだけじゃないけど。年金とかニートとか、現在の福祉問題に

 すごく関心があるの。だけど先生の授業では、昔から経済学者もそうした問

 題に何か発言してきた、とおっしゃっていたし。

 

深草:そうだね。まず福祉welfareという言葉が主に2つの意味を含むことを

 確認しておこうか。まず豪傑君の言うように、福祉には具体的な慈善・施し・

 温情という側面があるね。社会事業というミクロ的な局面と言い換えても

 いい。ただし経済学者は、福祉=人間全体の幸福、理想社会の設計という

 クロ的な側面も同時に考えてきた。

 

美雪:ピグーからヒックス、アロー、センに至る厚生経済学のことかしら。

深草:そう。welfare厚生とも訳されるね。経済学者は、(1)静態合理性:時

 間や金を節約する方法を見つける、(2)動態誘因性:ある制度・目的を所与と

 して、自らの行動を環境に適合させる、という人間性の分析を得意としてき

 た。ただそれだけでなく、(3)理想的な「良き社会」を設定し、それに向けた

 手段を考察するという規範的な側面もあるのだよ。それでは、福祉と経済思

 想の関係について、ニート、生活保護、年金という例で説明していこうか。

 

●昔のニート問題?

豪傑:高校の友達がフリーターだかニートだかで、全く働かないものだから、

 オレは説教したね。働かざるもの食うべからずってね。

美雪:でも、働きたくても働けない状況ということもあるわよ。

深草:「貧困と怠惰の関係」という非常に重要なテーマだね。それではデフォー

 というイギリスの思想家をまず取り上げようか。救貧法Poor Lawsという昔

 の法律が重要だ。当時、産業革命による生活の激変で、貧民が非常に増えて

 いた。貧民問題に対処するため、例えば貧民を三種類に分けて、それぞれの

 対処法を変えようとした。無能力・一時的・浪費的という具合だ。

 

豪傑:浪費って、何が浪費なのかね。

深草:放蕩者・放浪者・怠け者だ。要するに、働く能力があるのに、働いてい

 ない者。彼らには厳しい処罰が下る。捕獲されて、強制労働、烙印、ひどい

 場合は死刑にもなった。

美雪:そんな! 働かないことが重罪なの?

深草:その通り。無能力・一時的という貧民には保護の対象とされたけど、怠

 け者には容赦がなかった。そのためこの体制は後世から「血なまぐさい立法」

 「抑圧の機構」と呼ばれている。

 

豪傑:オレも怠ける奴には厳しいけど、死刑とはねぇ・・・。

深草:さて、デフォーは『施しを与うるは慈善にあらず』というパンフレット

 を書き、イギリスは十分に裕福で就労機会も多くあるから、それでも失業し

 ている人は怠け者であると論じた。

美雪:貧しい人に厳しすぎるのでは・・・。

深草:ただデフォーは貧しいが勤勉な労働者には、暖かい眼差しを向けている

 よ。現在もニートという働かない/働けない状態に、厳しい目を向ける人が

 いる。この問題は「労働意欲がある人とない人の峻別」という困難さと密接

 に関係していることがわかったかな。

 

豪傑:そうか、大昔からあまり問題が変わっていないのか。

深草:ブレア政権で話題になったワークフェアworkfareという概念にも触れ

 ておこう。これはwelfare to workとも言えて、二通りの解釈を含んでいる。

 (1)「福祉から労働へ」と解釈すれば、今までのバラマキ型福祉(=普遍主義)

 から、就労を条件とした福祉給付へ(=選別主義)という大転換になる。(2)

 「働くための福祉」と解釈すれば、そもそも福祉の目標を自活できる状態に

 置くことになり、就労支援を政府が積極的に行うのが特徴となる。いずれも 

 労働供給側の話だね。

美雪:「アメとムチ」の違いかしら。

 

●生活保護

豪傑:働く意欲がないと言えば、生活保護の不正受給にはホントに頭に来る。

美雪:逆に、役所の窓口で保護申請を拒絶したっていうひどい例もあるわよ。

深草:この問題も深刻だ。そもそも生活保護の根拠は、ナショナル・ミニマム

 (国民最低限保障)にある。これは100年以上も前にウェッブ夫妻が唱えた

 概念だね。『産業民主制論』(1897)という本だ。それによれば政治体制で成

 功してきた民主主義を産業社会にも応用し、国民全体の経済的効率性および

 道徳の向上を狙わなくてはいけない。つまり最低限保障という権利の問題も、

 経済システムと深く結びついた形で考慮されていたということ。

 

豪傑:その権利の内容って?

深草:賃金・住宅・教育・余暇(労働時間)だね。最低賃金法で規定している

 ように、単に賃金の水準だけが問題ではないのだよ。きちんとした市民生活

 をするには、それなりの家屋、十分な初等・中等教育、労働時間の短縮によ

 る余暇の充実が必要とされた。

美雪:それが生活保護の原型なのですか?

 

深草:直接的には『ベヴァリッジ報告』1942)と日本国憲法第25条だね。

 前者では貧困線(それ以下では生活が著しく困難な基準)を具体的に設定し、

 国家がその線以上の生活を保証する義務を負うとした。後者は「すべて国民

 は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と、人々の生存権

 が宣言された。

豪傑:なぜこの報告書が画期的だったのかな。

美雪:「戦後の福祉国家を創出させた計画書」と評価されているわね。

 

深草:そう。『ベヴァリッジ報告』は福祉国家の1つの完成態である、と評価さ 

 れている。ただここで指摘しておきたいのは、この計画は単に理想社会の青

 写真なのではなく、(1)ケインズ(当時は大蔵省顧問)の側面支援を受けて、

 緊縮財政でも実現可能な案として練り上げられたこと、(2)ナショナル・ミニ

 マムを保証すればそれが有効需要の原資となり、逆に有効需要が拡大して所

 得が拡大すれば社会保障に回せる原資が拡大するという相乗効果を含む、と

 いう具合に経済面とのリンクを緊密化していたことだね。

豪傑:でも福祉国家って単に、無駄な支出を増やして人々を甘やかせるだけじ

 ゃないの?

 

深草:少なくとも設計者であるベヴァリッジは、バラマキ型の計画に反対だっ

 た。人々の創意工夫の余地を残すこと、保険料に基づいた社会保険の設計を

 計画の根幹に置いていたのだよ。その上で権利が認められる。

美雪:でも生活保護は受けない、という人もまだ多いけど。

深草:スティグマ(貧民の汚名)という問題だね。『ベヴァリッジ報告』によ

 る福祉国家の誕生で、権利として最低限は保証されたはずなのだけど、いま

 だにその権利を恥と感じる場合も多い。人々の意識はなかなか変えられない、

 という問題を含んでいるね。この文脈で、先ほどのワークフェアと対置され

 る考えを「基本所得構想basic incomeと呼んでいる。

 

美雪:なぜ「基本」なのですか。

深草:この構想では、すべての国民に最低限の所得を直接に最初から与えてし

 まおうとなる。そこには就労の有無、年齢・性別・年収の差はまったく介在

 しない。すべての人に平等・同一だから「基本」と呼ぶ。非常に大胆な構想

 で、雇用ではなく所得を直接保証しようという単純さが利点だよ。

 

●年金という保険

美雪:ここ数年、年金の問題ばかり。未加入問題から記録漏れ、そして着服や

 無駄な施設まで。

豪傑:ホント。学生だって毎月14100円払っているし。こんなに信頼できない

 制度なら、払いたくないね。

深草:保険も人間が編み出してきた偉大なシステムだ。前述のデフォーは1687

 年に共済組合を提唱している。これは慈善制度というよりも、人生でおこり

 うるリスクを分散するという合理的な行動からだね。またトマス・ペイン

 フランス革命(1789)直後に、老齢年金も人間の権利に含まれると論じた。

 ただしこうした先駆的な思想は現実の案とならず、年金を国家単位で作ろう

 という動きは19世紀末からだよ。

 

美雪:やはりイギリスが最初ですか。

深草:議論は進んでいたけど、むしろドイツやニュージーランドが先駆だよ。

 ドイツでは、労働者に対して「アメとムチ」政策が行われた。その一環で職

 業紹介所や老齢年金制度ができたのさ。このビスマルク体制はシュモラー

 の社会政策学会のお墨付きをもらっていたから、ドイツ歴史学派と呼ばれる

 人たちが利害調整の具体策として、福祉国家的な精神を先んじていたと言っ

 てもいいね。こうした海外の動きは本家イギリスの改革者を刺激して、自由

 党の改革(1906-1914)と呼ばれる時代に、老齢年金や最低賃金や学校給食な

 ど、多くの福祉制度が整った。

 

豪傑:へえ、こんな早くから? 福祉国家って、第二次世界大戦後じゃなかっ

 たの?

深草:いや、その原型は前述のように様々ある。特に職業紹介所法(1909)と

 国民保険法(1911)に注目しておこうか。いずれも商務省の高官ウィリアム・

 ベヴァリッジが主導して成立したよ。

美雪:さっき出てきた『ベヴァリッジ報告』と関係ある人?

深草:そう本人だ。当時、彼は失業問題の専門家として売り出し中で、ウェッ

 ブ夫妻や政治家のロイド-ジョージやチャーチルと懇意だった。定職に就けず、

 その日暮らしの日雇い人をベヴァリッジは観察し、これこそ失業問題=貧困

 問題と見なした。そこでまず、労働市場を人工的に造ることを夢見たのだよ。

 

豪傑:市場って人工的にできるものなの?

深草:この辺は社会工学的な見方だね。ベヴァリッジは経済システム内部の効

 率性は疑っていなかったから、むしろそれが発揮できない原因を労働市場の

 不在と見た。そこで、求人と求職という情報をすべて各地域の拠点に集め、

 さらにそれらを全国ネットワークで結ぶことにより、働きたい人がいつでも

 働ける機会を見つけられる機構を設計したのだ。

美雪:求人と求職ということは、ハローワークのようなものかしら。

 

深草:その通り。現存するこの制度が福祉国家の父によって生み出されたとは

 興味深いね。もう1つ、国民保険法も画期的だった。これは健康保険と失業

 保険の二部構成になっていた。いずれも職種・年収・年齢などで多くの制約

 が付いていたけれど、特に国家による失業保険は世界初であり、意義深い。

豪傑:でもさ、失業保険があるから怠けちゃう人もいるよ。

深草:そこでベヴァリッジは拠出原則(保険料を払うことで、給付の権利を獲

 得する)を頑なに貫いたのだよ。保険という制度も二通りあることに注意し

 よう。1つはライフサイクル全般を考えて、自分の所得を平準化するという

 機能。これを「水平的な均し」と呼んでもいいね。病気や失業の時と、普通

 に働いている時とで、保険機能を使って所得を平均化することだ。拠出原則

 によって、自分の保険料と自分の給付額が比例する関係になる。こうすれば、

 サボることはできない。もう1つは異なる世代間や階層間の間で、再分配機

 能を働かせること。「垂直的な均し」だね。

 

豪傑:再分配という言葉がわかりません。

深草: 分配というのは、資源(所得など)の分け前=シェアのことだ。再分配

 というのは、いったん市場で決まった分配状態(例:高い生産性の人、株の

 配当を多く持っている人)を、政府の強制的な力によって、より平等な方向

 に動かすことだ。

美雪:日本の年金はどちらの機能なのかしら。

深草:積立方式は不可能だったことにより、現在の若者世代が現在の高齢者世

 代をほぼ支えるという方式になっているね。垂直型だ。

 

●経済と福祉の間

深草:さて少しは経済と福祉の関係、そして経済学者の関与をわかってもらえ

 たかな。最後にマーシャルの有名な標語を紹介しておこう。「冷静な頭脳と

 暖かい心」だよ。これは貧困解決など強い情熱を持って、しかし冷徹なまで

 に経済学を用いて分析し、政策提言するという態度だ。まさに経済と福祉の

 関係を示唆する含蓄のある言葉だと思う。過去の著名な経済学者の言葉は、

 現在に生きる我々にも通用する新しい発想に変わりうる。その発見は推理小

 説を解くような楽しみだよ。これで卒論のヒントになったかな。

 

美雪:はい。ありがとうございました。

豪傑:少しは経済と福祉のことも考えてみますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 



* 副題は中江兆民『三酔人経綸問答』(1887)から。明治期日本のゆくすえを作中の3人が激論する著作。「経綸」とは一国を治める仕組み・財政・経済。



+ 1965年生。龍谷大学経済学部准教授。一橋大学大学院経済学研究科・修了。著書に『ベヴァリッジの経済思想』(昭和堂、2007)、『福祉の経済思想家たち』(編著、ナカニシヤ出版、2007)などがある。