Q&A

眠りの先導者に一問一答!!

眠りの先導者こと大東利幸社長に、いろいろ聞いてきました。

Q: 商品の企画から製品化まで、どれぐらい時間がかかっているのですか?

A: 大東寝具工業の製品は、最終消費者が対象です。お客様の生活の中で使っていただくものです。例えば、海外と日本の生活文化は大きく違います。だから、1つのものを作るにあたって時間をかけて企画し製品化しています。

Q: 人々の生活にいかに関わり、時代の変化にどう対応するのですか?

A: お客様の生活の中で使っていただける製品を作り続けること、事業を継続することが1番難しいと考えています。お客様とは、私たちのモットーを継続させていただける存在です。
時代の変化に対応するためには、経営者である私が常に敏感でいないといけないと思っています。もし、自分にそれが無理なら、変化を感じられる人の近くにいる必要があります。時代の変化に敏感な人を見て、自分も反応するということです。時代が変化するのは当たり前です。そして、変化に対応できないのは、会社にとっては致命的です。だから、力づくでも時代の波に乗ろうとする気持ちが必要だと思っています。目指すのは、変化の波の上を行く人です。それが1番良い経営者だと信じています。

Q: 1995年に中京区に小売店「OUTLET三条店」を新設されましたね?

A: 30歳のとき(1992年)、製造業から小売業に進出したいと思ったことがきっかけです。当時、わが社は、製造部と営業部が別々の場所にありました。また、広い製造現場はこれからあまりいらないと思われました。それで、製造部と営業部を1カ所に集約したうえで、新たに小売店を作ることを決意しました。
少しでも格好良く見せたかったこともあり、インテリア雑貨のお店を開きました。寝具店ではなく、インテリア雑貨店にしたのは、従来とは異なるお客様を取り込みたかったからです。来店頻度を上げるため、インテリア製品を買ってもらった人に布団やシーツを、布団やシーツを買ってもらった人にインテリア製品を買ってもらえるPRをしようと思いました。

Q: なぜ「OUTLET」という名前だったのですか?

A: 小売業への進出を考えていた当時、東京の恵比寿に「OUTLET」という雑貨屋ができました。お店そのものが面白そうだったうえ、「OUTLET」という言葉にも惹かれました。わが社はメーカーです。メーカーの商品を直接お客様にお届けできることが、「OUTLET」ではないのかと思いました。そこで、東京の恵比寿にある「OUTLET」の本部を訪ねました。同じような店を京都で開きたかったのです。
お願いすると、相手側もその気になってくださり、京都の三条にフランチャイズの形で出店しました。10坪の小さなお店でしたが、毎日20万円ぐらいの売り上げがありました。大繁盛店だったので、多くの百貨店やショッピングセンターから出店のオファーをいただき、実際、ショッピングセンターへは出店もしました。

Q: なぜ、繁盛している雑貨屋をやめたのですか?

A: 布団屋さんなのに、気がついたら毎日、雑貨の仕入れや発注に追われていました。「自分は一体何をしているんだ!」という思いが強まり、まず、ショッピングセンターから撤退。その後はしばらく、三条店のみで続けていましたが、正社員を雇えるまでには至りませんでした。さらに、新たに始めた通販にすっかりはまってしまったこともあり、三条店(雑貨屋)はやめて、通販に本腰を入れるようになりました。

Q: 京都にこだわっている部分はありますか?

A: 私自身、そんなにはありません。しかし、「京都」「KYOTO」の知名度は高く、「京都」や「京もの」に対して特別な思いを抱いて下さる方が数多くいらっしゃいます。「和晒」という昔ながらの製法で作った綿100%のガーゼには、「京都」をイメージさせる「京和晒綿紗」という名前を付けました。この「京和晒綿紗」の製品は、京都の老舗旅館で使われ、『婦人画報』や『家庭画報』といったラグジュアリーな雑誌にも掲載されています。さまざまな賞もいただきました。「京都」がもつブランド力をうまく活かしながら、独自のブランドを作っていきたいと考えています。

Q: そもそもなぜ「京和晒綿紗」を開発しようと思ったのですか?

京和晒綿紗のパジャマです!!

A: パジャマは、長時間にわたって直接肌に触れる商品です。アトピーの方や乳幼児でも安心して眠ることができる素材を使った寝具はないか?と思ったのが商品開発のきっかけです。和晒釜を使うことで、綿を熟成させてふっくらとした生地にすることができ、身体に優しい寝具を開発することができました。


Q: 最後に、社長自身のことを教えてください。

A: 昭和39年生まれです。同志社大学を卒業後、ダイエーでがむしゃらに働き、同期の出世頭でした。父が亡くなり、母と叔母が大東寝具工業の経営を引き継ぎましたが、業績があまり芳しくなかったため、ダイエーを退社して大東寝具工業に入社。事業の立て直しを図りました。
今は、「創造と挑戦を続ける未来派集団」として1985年に結成された「京都市ベンチャービジネスクラブ」の代表幹事を務めさせていただいています。京都の地から世界への飛躍を目指す仲間が集まっています。
趣味は、1人でできるアグレッシブな活動です。若い頃は、スキー、スケボー、サーフィンをやっていました。今は、サイクリングにはまっています。休日には100㎞ぐらい走っています。

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