社長さん紹介

農業生産法人、こと京都株式会社

現在までの過程

社長の山田さんはもともとアパレル関連の会社に勤めていました。モデルをやっていたなんて話もあります。お父さんがやっていた畑を継ぐかたちで脱サラし就農しました。最初は家族だけの農業でした。今のような加工工場ももちろんありません。しかし、一緒に農作業をする畑のスタッフが徐々に増え、2002(平成14)年に「竹田の子守唄」という社名の有限会社を設立、山田さんが社長に就任しました。会社形態をとることに、家族は当初反対でした。「農業は家族でやるもの」と考えられていたからです。しかし、山田さんは「みんなでやっていきたい」という強い思いで会社組織を立ち上げました。

当初はねぎの生産だけでしたが、会社形態に変わってからは、販売や加工も自社で手掛けるようになっていきました。いわゆる6次産業化と呼ばれるものです。6次産業化とは、農業者が、農産物などの生産(第1次産業)だけでなく、食品加工(第2次産業)や流通・販売(第3次産業)などにも主体的に関わっていくことを指しています。

2007(平成19)年には、「こと京都株式会社」へと社名を変更しました。

翌2008(平成20)年には、その活動が認められ、京都府から表彰され補助金ももらいました。

現在主体となっている商品は、フレッシュという長ねぎとカットねぎです。しかしフレッシュなものは天候に左右されやすく生産量は安定しません。とはいえ、得意先に「天候不順のため品切れです」とも言えません。そのため、山田さんたちは、売り上げの予想数量を算出し、実際にはそれよりも多くのねぎを育てています。したがって、天候に恵まれて大量のねぎが収穫できた場合、売れ残るねぎが出てきます。そういったねぎはリサイクルして、たい肥に変えたりしますが、それでも余る場合があります。

それで、たくさんのねぎが収穫できた時には加工品に回す取り組みが始まりました。今は、ねぎを使った油やドレッシングを作って販売しています。

会社の売り上げは2011(平成23)年が4億4千万円。2012年は「6億円に何とか乗るかな」(取材時)というところでした。当面の売り上げ目標は10億円だそうです。

社長はこんな人

社長の山田さんは脱サラして農家を継ぎ、会社を設立されました。会社の設立も、増えたスタッフのためを思ってのことだそうです。非常に思いやりのある人だと思いました。また、「会社の設立で苦労したことはない」というあたりは負けん気の強さを感じます。

農家をしていた時は、ねぎの売値(販売価格)を自分で決められませんでした。当時は、農協を通して販売しており、ねぎの取引価格はせりによって決まりました。ねぎが他にたくさん出回っていれば、ねぎの良し悪しに関わらず値段が下がります。そこで、社長の山田さんは思案し、収穫したねぎを自らカットしてラーメン屋さんに売り込みました。店主に「このねぎはなんぼや?」と聞かれたそうです。社長は、自分で値段をつけた商品を自分の力で販売したことがすごく嬉しくて、自分で売る重要性に気づきました。

社長は現在、九州の大学に通い、農業を研究・調査するゼミに所属しています。「学生は、勉強には強いかもしれないが、現場をあまり知りません。僕は実際の現場をよく知っています。お互いに学び合うことができたら」と社長は考えています。

2011年には「ことねぎ会」という農事組合を発足させました。これは、京の伝統野菜である九条ねぎの伝統を継承し守る会です。実際には、農業をやっている人同士が一緒にねぎの栽培や農業経営などについて勉強し、こと京都が「ことねぎ会」のメンバーが収穫したねぎを買い取って得意先に売るといったことをしています。

課長の山内さんに社長のことをたずねると、「社長は一から自分でやっていて強い。経営者はこれぐらいバイタリティがないと」、「いつも社長からエネルギーをもらっている」、「仕事は忙しいけど社長の人間味に惹かれてみんながんばっている」とのことです。私たちも少しだけ社長にお会いしたのですが、エネルギッシュでとても元気という印象を受けました。心なしか背中が大きく見えた気がします。

このページのトップへ戻る